若者の自動車離れに物申す
昨年の夏、一リットル180円台を付けたガソリン価格も今は90円台に戻しました。
車を持っている人は一安心です。ただ、今車離れが進んでいるという現象が日本にはあるといいます。
私自身、犬の散歩を朝夕にしながら時々、道で立ち止まって、どのメーカーの車が多いかとか、車種などチェックしているのですが、正直、似たようなミニバンが多くて「没個性」と思います。
使い勝手の上から言えば、おそらく形のいいセダンより、後部に自転車やたくさんの荷物が載せられるバンは便利かもしれません。家族が4,5人の場合で、屋外のキャンプなどをする場合、確かにバンやワンボックス、SUVなどが便利かもしれません。
ただ、車はまだ魅力ある乗り物だと思うのです。日産のフェアレディー、イギリスのミニクーパーとかヨーロッパの個性がきらりと光る車を見るとどんな人が乗っているのだろうと思わず運転席を見てしまいます。
没個性の売りやすい車を日本のメーカが売ってきたことが車離れの一つの原因かとも思います。
ただ、テレビなどでこれからは車は買わずにカーシェアリングの時代だとか、関東に住んでいたら車なんか要らない、などと言う意見は反対です。
車は、購入にも維持にも確かにかなりお金がかかります。しかし、自由の象徴だと思います。好きなときに好きなところに行けるのです。気分がふさぎがちのとき、車を運転すると、もやもやした気分がサッと晴れる経験をしたことが何度もあります。
損得勘定は必要なものは確かにあります。しかし、自由とかわくわくする感情とかは、それらを超えたものです。
今、自動車産業は昨年のアメリカ発の金融危機のあおりを受けて世界的に大打撃を受けています。各社がしのぎを削って自慢の車を作って市場に出してくるでしょう。メーカーには是非、環境や燃費問題だけでなく魅力のある車を作ってもらいたいです。横並びでなく、各社がそれぞれの考えるコンセプトで車作りをしてもらいたい。
そうすれば、その中の何社かは次の20,30年を引っ張るような車となると思います。
そうすれば若者も携帯やゲームだけでなく、自由の翼である車を持つことの意味を実感できると思います。
若者には一部の経済評論家が言うような、損得だけで物事を判断する飼いならされた人になって欲しくないと思いました。
こんなことを言う私も今年で48歳、もう頑固なおじさんなのかも知れません。
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コメント
こんにちは。24歳の車に全く興味持ったことがない女性です。通りすがりでいきなり申し訳ないんですが、
車に全く興味が持てない若者の一人として、私が車に関して思うことはこうです。
●免許を取るのはお金かかるし教習所に行くのがめんど
くさい。大学時代、親からお金は出すし、免許はあった
ほうがいいから教習所に行けと散々言われたけど教習所
に通うのがどうしても嫌で色々理由つけて逃げました。
●事故を起こして人が死んだら取り返しがつかない。
自殺でもするしかないかもしれない。残った家族に責任
が追求されるとなれば、家族を殺してから自分も自殺と
いうところまで追い詰められるかもしれない。
●とにかく維持費ガソリン代、免許を取得後も車を買っ
た後も金がかかり続ける。そのお金を違うことに使いた
い。(旅行とか)
●一昔前の女性は車を持ってる男性がかっこいいと思って
いたようですが、私はそれがわかりません。車は日用品に
過ぎず、冷蔵庫や洗濯機を持っている男性がかっこいいと
いってるのと同じようにしか思えないからです。そりゃ、
便利な日用品を持っている男性と付き合うほうが歩かなくて
いいというメリットはあるでしょう。
以上が私の車に興味持てない理由なんですが、私のように車を
便利な日用品にしか思ってない人は結構多いんじゃないかと思います。
こういう人達にいくらかっこいい車、魅力のある車を売りつけても
売れないと思いますね。かっこいい冷蔵庫やかっこいい洗濯機
を作ろうとしているのと同じようにしか見えないのです。
投稿: 通りすがりの小鳥好き | 2009年10月 6日 (火) 14時55分
どうもコメントありがとうございました
「通りすがりの小鳥好き」さん
車の便利さは認めるけど、人の移動や物の運搬の道具
以上のものではないよ、というご意見だと思います。
そのような考えも確かにありますね。分かります。
ちょっと唐突ですが、私は
「人は大人になるとき、親や生まれた家族から心理的に
も空間的にも離れる必要がある」と考えています。
親から心理的に離れるには、親で内緒でいろいろ
行動するところから入ると思います。そしてその
行動が自分を解放してくれるようなものであると
人生の糧になると思います。
自分の経験ですが、好きな人と終電も気にせず
遊びまわったり、人の目を気にせず車の車内で
歌を歌いあって旅をするなんてことがいまだに
いい記憶になっています。
あとでそうやって遊びまわったことが、普通に
生活していたことより貴重に思えてきています。
そんなときいつもそばにあったのが車です。
カタログを見比べ、ローンを組んでやっと
買った車です。
今は携帯やゲーム、ネットなど魅力のあるものも多く
お金も結構かかるのも分かります。
ただ、友人や恋人と車で遊ぶことの経験の深さは
換えがたいと思うんですね。私は。
通りすがりの小鳥好きさんもまだ24歳なので
車で遊んだり旅行に行ったりはまだ多くないかな
と思うのですが、これから機会があれば是非
楽しんで見てください。
数年後、やっぱり車は興味もてないわ。
ということであれば、それもまた一つの考え
だと思います。
それとカッコいい車や魅力的な車は、車への思い入れ
などができないとなかなかピンとは来ないですよね。
マニアックな世界だと思って結構です。(^^)
投稿: ジャンルカ@管理人 | 2009年10月 6日 (火) 17時53分
現在のおじさんは若いころに自動車を保有することをかっこいいことだと思い、一方で最近の若い人は自動車よりも携帯電話などに興味を示す、という言説をよく聞きますが私もそのとおりだと思います。しかしだからと言って若者が大志や大きな夢を捨てたかのように解釈されるのは心外です。
「人は大人になるとき、親や生まれた家族から心理的に
も空間的にも離れる必要がある」
これには私も何の異論もありません。家族からいずれ離れる必要があるからこそ、反抗期があるのであり、親の指図を無視したりするわけです。むしろ昔と比べて子どもの権利が尊重されるようになった現代では、子どももできるだけ親の干渉にさらされたくないと考えるようになっているでしょう。そう考えてみれば昔よりも若者の親離れは進んでいるようにさえ思えます。
しかしここで私が問題にしたいのは「空間的に」という言葉の解釈です。おそらくこのブログの管理人さんはこの言葉を「実」空間に限定していないでしょうか。しかしネット上にバーチャルな世界が広がる現代社会においては実空間だけでなく「虚」空間を楽しむ方法もあるはずです。若者が携帯電話やオンラインゲーム、さらにはミクシィを楽しむ背景にはこの虚空間を楽しもうという意図が垣間見えると思います。
管理人さんが若いころはこのような虚空間はほとんど存在せず、仕事疲れで現実から逃避したいという願望があっても、あくまで実空間の中でしか行動できなかったのでしょう。その証拠がおじさんたちの若い時代における自動車ブーム、ドライブブームだったのではないでしょうか。
しかしいくら実空間に楽しいものが存在しても、その実空間に不快なものが同時に存在していたら、それは誰だって実空間そのものから逃れてみたいと感じるでしょう。しかしまさかまだ若いのに自殺などをするわけにもいきません。そこで用意されているのが虚空間なのです。ですから自動車以外のものに興味を示す現代の若者の趣味の傾向は決して特異的なものではないと思います。
投稿: 21歳男性 | 2009年11月 5日 (木) 14時08分
21歳男性さん、こんばんは。
コメントどうもありがとう。
私は、21歳男性さんの主張する虚空間(バーチャルな世界)も悪くないと思っているんですよ。そこに楽しみや癒し、可能性など見出してくれたら生きる上でもプラスになると思っていて、自分の姪にも小さいときからネットやアニメなどの世界など紹介してきました。
ただ私は20年以上コンピュータやネットの世界で仕事をしてきているので、メールや掲示板など文字のコミュニケーションの弱点も私なりに認識しています。
弱点の一つは、文字のコミュニケーションは人を残酷にさせる点ですね。文字だけで議論する場合、けんかが始まると昔から手が付けられません。2chなど見ても変わってませんね。
それと文字と実際の違いが多いということがあります。仕事でも恋愛でもメールでとてもいいことが書いてあっても実際会ってみると、あれ違う、なんてことも多い。
ですから単純な待ち合わせの取り決めや、情報伝達には文字コミュニケーションは向くけど、深いコミュニケーションの場ととらえるには危ういと今でも思っています。
(ミクシィやネットゲームはやったことがないので、今はもっと信頼できる仕組みなのかもしれませんが。)
さて私は、基本的に若い人の応援団なんです。
強い若者は応援の必要はないですが、一生懸命やって
いるのになぜか生き辛い、そういう人に日ごろエールを送りたいと思っています。ですので、若い人の自殺や引きこもり、就職難などのニュースを見聞きすると、負けるなーと心の中で思っています。
人生は長いです。病気や怪我、失業、親の不仲などいろんなことがあるものです。
そんな辛いとき、支えになるのは「あのとき生きたという実体験」が結構大きいです。リアルワールドで友や恋人と過ごした時間。どきどきしたり、はらはらしたりした経験。自分の考えであの行動をして良かったという実感、それらが支えになります。
私の場合、侍を思うのですが、明日仮に何かで死んでも悔いはないか、と考えます。実体験を多く踏めば、悔いが少しずつ減ります。
実空間で経験したことは、イメージとして心に残り、支えになってくれます。
さて、ブログのテーマの自動車の件ですが、
私たちが20代の頃、ユーミンの歌や片岡義男の小説など車やバイクがドラマチックな人間関係をつくるきっかけになりました。
昔の若者、今40代から60代のおじさんは今でも車やバイクが好きな人が多いです。バンドなどもそうですが、子育てを終えた後、趣味を復活させる人が多いですね。これは、そういった車やバイク、バンドなどが生きる支えになったとも言えると思うのです。
ミクシィやネットゲーム、携帯でのメールのやりとりも悪くはないとは思うのですが、何か一つリアルワールドで楽しみを見つけておいてはどうかな、というのが48歳の私からの提案なんです。
投稿: ジャンルカ | 2009年11月 6日 (金) 22時32分
こんにちは、たびたびコメントさせていただきます。私が先日ここで申し上げた虚空間というものは、実空間からの逃避先としてあるものだということを申し上げました。逃避先ということは日常生活での不快な体験やうっぷんを晴らす場所として活用するということです。つまり虚空間を使うからといってすべてがそこに入り込んでしまうわけではありません。言い方を変えると非日常的な空間を日常生活の中で非常手段として活用するわけであり、なにも年がら年中虚空間の中に身をおくわけではありません。これは自動車好きの人が年がら年中自動車の中で生活するわけではないことと同じです。
当然のことながら実世界に生きているわけですから何人も実空間から逃れられません。ですから実際に現代の若者も実世界で恋人を作っています。私も先日大学の学園祭でしたが多くのカップルを見かけました。要は自動車があるかないかの違いだけです。若者が実空間を完全に無視しているわけではないということについてご理解願います。
しかしそれとは別に虚空間があってもいいと私は思うのです。虚空間を楽しみすぎたために実空間との区別がつかなくなり、テレビゲームの中で行われる殺人を日常生活でやってしまったというニュースもたびたびあると思います。もちろん虚空間を活用するからには最低限のマナーとモラルは不可欠です。これは自動車に乗るときにシートベルトを締めて、制限速度を守ることと同じように大事なことです。
しかし、たとえば自動車事故で年間多くの方がなくなっているから自動車を販売規制しようというような暴論は今のところ私は聞いたことがありません。安全性については政府と自動車業界が向上にそのつど努めているからです。それと同じで虚空間に身を置いてみる若者を異端児扱いする年長者がテレビのコメンテーターなどにいることに違和感を覚えます。
そもそもパソコン、テレビ、ゲームに熱中したからといって人間の脳みそに異常が起こるという話を私は聞いたことがありません。一時期「ゲーム脳」になるからゲームは控えなさいという教えがありましたが、はたして「ゲーム脳」というものが本当にあるのがどうか確かではありません。
それと管理人さんに限らず多くのおじさん世代は自動車を自分と恋人や友人をつなぐ架け橋としてとらえているのではないかと思います。このことについてもふれてみたいと思います。男女間や友人間の架け橋として自動車が用いられるというのは単なる時代の偶然です。たとえば平安時代は男女をつなぐ架け橋は和歌でした。これは当時の人が和歌の才能に長けていたからというわけではなく、あくまでその時代の流行にすぎなかったからであります。もちろんその時代に自動車などありません。おそらく平安時代を生きた人も仮に高度経済成長期やバブルの時代に生きていたとしたら、管理人さんと同じように自動車に興味を示したでしょう。もちろんそれは私にも言えると思います。もっといえば管理人さんも生まれるのがあと30年くらい遅ければ携帯電話で一生懸命メールを打っていたでしょう。
自動車にしろ携帯電話にしろ流行したのはあくまで偶然です。日本人の長い歴史の中でごく一瞬のことです。ですから近い将来、携帯電話に興味を示す若者は急速に減るでしょう。でもそれはしょうがないことなのです。時代の変遷の過程ですから。さらに私のひ孫や玄孫の時代になれば、ほぼ間違いなく「昔の人は自動車なんかに興味をもってたんだ。ダサイ!」といわれる日が来るでしょう。それば現代人が平安時代の牛車を見てダサイと思うのと同じです。
人間は自分が若年時代に作り上げた価値観や文化を普遍的なものと考えます。それは多くの年長者が自分の若年時代のものを今の若い世代が受け継ぐべきだと考えていることからもわかります。しかし、人間の歴史の流れを見ればそれは大方自己中心的な考え方だとわかるでしょう。もちろん自分が作った価値観を全否定すべきというわけではありません。あくまで時代の流れの変化を容認する寛容な精神、これこそ大事だと思います。
投稿: 21歳男性 | 2009年11月 8日 (日) 20時29分
どうも21歳男性さん。
コメント読ませていただきました。
21歳男性さんの言われる虚空間については、現実からの逃避先であろうと、もっと積極的な意味での趣味や楽しみであろうと、それはそれでいいと思います。ただそういったものは長時間しがちなので眼を悪くしないようにという心配をするくらいです。
数日、熟成させて頂いて思ったのは、21歳男性さんは私にSNS(ミクシィ)の良さを教えてくれようとしているのではないかということなのですが。そうですかね。
実際人と会う付き合いだけでなく、ネット上のコミュニティというか、新たな人間関係を作る環境としてミクシィがあり、そこに新しい喜びや楽しみがあるのだということを言われたいのかと。
そうであれば、そうなんですか!と純粋にその情報に感謝します。そして興味を持って、その広がりなど今後見て行きたいと思いますよ。
さて、もう一つ自動車についてです。
「人間は自分が若年時代に作り上げた価値観や文化を普遍的なものと考えます。」と書かれました。が、これはそうは思いませんね。普通の大人は、若いときに体験したことの中から、当時の流行だけなのか、次世代に伝えたいものか、その後、生きてゆく過程で体験をふるいにかけるものです。私たちの場合も楽しかったことにマージャンとかディスコとかありましたが、勧めませんもの。
私の場合、そうしたふるい落としの過程を踏まえても、自動車を持ち、自動車を自分の足として使いこなせるようになることは大切だと思い、今の20代の世代には伝えたいのです。
車が人間関係を作る架け橋である内容の返答をしました。それはコメントを寄せてくれた方が21歳の方なので、これから10年が人間関係を作る大事なときだと思い、その視点で書いたものです。
平安時代の和歌を例にあげられました。面白い視点ですね。人間関係を作る架け橋はもちろん車以外いろいろあるでしょう。ただ時代とともに変わるものもあれば、変わらないものもあると思います。
美しい自然を見に行ったり、美味しい食事を食べさせるお店にわざわざ時間をかけて行ったりすること。それらを人を誘って行うこと。これは時代が変わっても、国が違ってもあまり変わらない若い人の性質ではないでしょうか。(もちろん全部とは言いませんよ)
車はそういった好奇心を満たすのにどんぴしゃ役立ちます。
自家用車でなくとも公共交通機関がある。そういう意見もあるでしょう。時刻表を調べたり、乗り継ぎで長い時間待ったり。そういうのが苦にならない人はそれもありですが、行動範囲は狭くなります。周りの目にも気をつけて行動しなくてはならなくなります。のびのびと移動するには車が一番。
その他にも自動車のメリットは結構あります。
日常的な買い物や仕事での利用。家族が急病の場合。要介護者の病院から病院への搬送。大雪の時のお客の出迎え。私が経験したものだけでもあげればきりがありません。
以前にイタリアに行ったとき、訪問先がローマから近くない町で行きにくかった。お願いしないのに車で迎えに来てもらい、帰りも空港まで送ってもらい、本当に助かりました。ですから、その方が家族で日本に来られたとき車で迎え、車で案内し、車で空港に送りました。
自動車は家電と違い、スイッチ一つで動くものではありません。車のメカニズムや各部の働きをある程度知る必要があります。メンテナンスのノウハウも必要です。また道も一朝一夕には覚えられません。長く付き合う中で、だんだん車のことが分かるし、そうなると愛着も沸いてきます。
車に興味がない。首都圏なので公共交通機関を利用すれば不自由は感じない。車はタクシーで十分。
それで一生を過ごせるかもしれません。
しかし私の友人、近所の人たちも車のお世話になっていない人はいません。必要ならだれかの車に同乗すればいい、という考えの人もいますが、私は男らしくないと思います。
中古でもいいですから苦労しても車を買って維持する男であったほうが、正々堂々と生きられるのではないでしょうか。
もし外出自体興味がないというのが現代の若者の車離れの理由であれば、私の仮説は崩れます。そういう場合は、あえて車を勧めたりはしません。私が前の返答で、若者への同情のような書き方をしたのは、この長引く不況下、青春時代を過ごした人たちには、ひょっとしたら苦労があるのでは、と思ったからです。
少々、堅苦しくなりましたが、私は、自分が車のお世話になるなら自分も車を持とうよ、という話をしたかっただけです。聞くに値するかどうか判断するのは、もちろん受け取る人の心次第です。
投稿: ジャンルカ | 2009年11月11日 (水) 20時49分
「21歳男性さんは私にSNS(ミクシィ)の良さを教えてくれようとしているのではないかということなのですが。そうですかね」というご質問でしたが、もちろん私は現在の年長世代にネットコミュニティーへの加入を押しつけるつもりはありません。多くの若者もおそらく同じで、自分が楽しむためだけに、このようなネット上のコンテンツを利用しています。
「普通の大人は、若いときに体験したことの中から、当時の流行だけなのか、次世代に伝えたいものか、その後、生きてゆく過程で体験をふるいにかけるものです。」というご指摘がありましたが、まさにその通りだと思います。しかし、「普通の大人」が若者に主張する内容も実は千差万別です。管理人さんのように「若いのだから、車でも買って遊べばいいのに」と主張される中高年世代もいれば、私の父のように「遊びもほどほどにして、勉強に集中しなさい」と耳にタコができるくらい説教する中高年世代もいます。このような違いが出るのは「普通の大人」が若い時代に体験したことの中身も千差万別だからです。
若者に人生の教訓を教えてくださるのも中高年世代の大事な社会的使命であることは間違いありません。しかし「普通の大人」が主張することが千差万別である限り、その主張を享受する若者も何を受け入れ、何を切り捨てるか選択せざるを得ません。もちろん管理人さんの主張に同感して自動車を購入する若者も相当数いるでしょう。しかしそれは星の数ほど(というのは言いすぎですが)いる中高年世代の主張の中から偶然選び抜かれたにすぎません。
そもそも、若者は機械ではありません。当然自分の考えで行動するわけですから、自ずとこれを受け入れ、これを排除するという選択を自分の身の丈と周囲の環境を考えて行っているわけです。管理人さんをはじめ中高年世代も若かったころは当時の年長世代の人生体験談のようなものを数多く聞いたでしょう。しかしどれを受け入れ、どれを排除するかを最終的に決定したのは言うまでもなく管理人さん自身です。決して年長者に機械のように操られて思想が変化するなどということはなかったはずです。
それと自動車の利便性にかんするご指摘もあったので、それについての私見も述べたいと思います。私は現在は東京都新宿区で一人暮らしをしていますが、実家は山梨にあります。ついこの前小学校の同窓会がありましたが、やはり山梨に住み続けている同級生の中には自動車を持っている人が多いです。しかしそれは公共交通機関がない田舎の特殊性によるもので、都会に生活する者にはいくら理屈を並べてもらっても理解はできません。
「日常的な買い物や仕事での利用。家族が急病の場合。要介護者の病院から病院への搬送。大雪の時のお客の出迎え。私が経験したものだけでもあげればきりがありません。」残念ながらこのような主張を理解してくれる若者は、多くの若者が都市部に移住する現代社会においては、数少ないのではないでしょうか。
さらに他人の自動車に依存するのは男らしくないという指摘がありましたが、繰り返しになりますが、そのような価値観が流布したのは時代の偶然です。男らしさ女らしさというのは時代とともに変化します。昔と今で美人の判断基準が違うのと同じです。そもそも男らしい人を好む女性は数多くいますが、具体的にこの「男らしさ」の中身を女性に尋ねると、「やさしさ」「勇敢さ」「頼りがい」「お金持ち」「潔さ」「正義感」など、実にこれも千差万別です。何も車を持つから男らしいと考える女性ばかりではないのです。
さらに若者の外出離れが進んでいるのかもしれないというご指摘がありましたが、そんなことはありません。うつ病で外出が困難になる若い世代は産業構造に変化とともに増加しているのかも知れませんが、私の身の回りを見ても多くの若者が、仕事、学業、サークル活動、アルバイトなどで外出していますし、たとえばサークル活動をしている人の中には長期休暇を利用して遠くに出かける人も数多くいます。要はその手段が自動車ではなくなった、ということだけなのかもしれません。
投稿: 21歳男性 | 2009年11月14日 (土) 15時23分
追記になりますが、失礼します。
管理人さんがお若かったころは年長世代の自動車に対する評価はどうだったのでしょうか。もちろん肯定的な評価も多かったでしょう。しかし、年長者というのはいつの時代も若年層の流行を批判するものです。これは平安時代の枕草子の中にも若者の風習や言葉遣いを批判する記述が出てくることからも十分推測されます。おそらく管理人さんが自動車に囲まれた青春時代を謳歌している背後では、年長世代による自動車批判があったのではないでしょうか。これは現代の若者が携帯電話やネットコンテンツを駆使している背景で、それを批判する年長評論家がいるのと同じ構図です。
これは私の完全な推測なので、その辺はご容赦いただきたいのですが、管理人さんがお若いころ、年長世代は以下のような言説をふりまいていたのではないでしょうか。
「最近の若者は車に乗ってばっかりいてけしからん。車は移動手段としては便利だが、脚を使って歩くという人間の醍醐味のひとつを若者は失っていないか。フロントガラスをとおして見る風景に慣れきってしまうと、周囲への気配りがお粗末になり、手軽に歩いて会いにいけるご近所の人とのふれあいがおろそかになり、自分の本当に身近な周囲の人が作り出す日常風景に対する敬愛の念が失われてしまうのではないか。自分の脚で歩き、自分の肉眼で決して焦らずゆっくりと風景を観賞することを車は妨げていて、それに最近の若者が熱中していることに強い危機感を感じる。
さらにデートなどで車を使う若者が増えてきたことはもっと深刻だ。本来人間は中身で評価しそして評価されるものだが、中身を軽視して、車という物体を自分そのものに置き換えて、女性を引き付けようとする行為が蔓延していないか。これは心を成長させようという人間の意志を後退させ、人間をもので評価しようという悪しき習慣が若いうちに身に付きかねない。これはよろしくない状況である。」
これは私が作った作文なので決してこのようなことが本当にかつて言われていたかどうかは確かではありません。しかし、管理人さんが若いころも「最近の若い者は・・・」というセリフが流布し、そして管理人さん自身、嫌な思いをしてきたことは容易に想像できます。車を青春時代の象徴としてきた世代が年長世代となり、そして若者のネット文化やケイタイ文化を批判する。そしてその若者が年を経て年長者となり、子どもや孫の世代に以下のような言説をふりまく。
「最近の若い者は、ネットやケイタイを使わないが、これは由々しき事態である。ケイタイは単に情報交換の道具として利用されるものではなく、娯楽としての幅広い要素や、財布、各種予約など、幅広い領域に応用されてきた。それを最近の若者が手放すということは、生活空間を自ら縮小させ、社会を成長の軌道から後退の軌道へと導いてしまいかねない。またネットは多忙極まりない現代人に、現地に赴かなくても現地の状況や雰囲気さらには情報を提供してくれるはずであり、これを最近の若者が手放すことは時間とカネの効率利用という時代の流れに逆行する。きわめて由々しき事態だ。」
もちろん私が管理人さんくらいの年齢になったときにこのようなセリフを若者に言うかどうかは分かりません。しかし年長者は若者を批判するという時代の流れを踏まえると、将来はこのようなことを言う年長者が増えるでしょう。
このように考えると「最近の若い者は・・・」というセリフは常に再生産されていくものなのです。ですから管理人さんが若者に対して主張をしたがるお気持ちはよく分かります。しかし、そのセリフは時代の流れとともにすぐに反故にされてしまうということも少し考えてみるのはどうでしょうか。
投稿: 21歳男性 | 2009年11月17日 (火) 23時22分
どうも21歳男性さん、レス遅れてすいません。
21歳男性さんは新宿区にお住まいの学生さんで、実家が富士山のある山梨とのこと。W大学の学生さんかな、と思いますが。。。
であるなら、私は車を無理して持てとはすすめませんね。
私は北海道出身で大学卒業後、大阪に本社のある電器メーカーの関東地区の研究所に11年勤めました。今はUターンで札幌におりますが、東京23区の駐車場代など知っているので、実家から学校に通っている場合を除けば学生時代に車を持つのは難しいと思います。実際、私も学生時代は車は持っておらず、勤めて3年くらいしてから買ったのが初めてです。ですので今の21歳男性さんに無理に車を持ったらとは勧めません。
さて次に「今の若者は。。」の話ですが、意外かもしれませんが、私たちが20代の頃、ほとんどこのフレーズで批判されたことはありません。
というのも私たちの両親の世代は戦前生まれで、戦後の復興期に、一生懸命働きながら家電や自動車を買い使うことで、豊かさを実感した世代だったからです。
自動車は私たち40代後半の世代には、大人社会への入り口でもありました。ですので車の仕組みを知り、運転することは奨励されこそすれ非難される話ではなかったのです。
その理由は親世代に
1)自動車産業は日本の基幹産業で自動車を購入することは日本のためになるという意識があった。
2)自動車産業は裾野が広いので、運転を見につけることは就職や仕事に必須であった。
3)車を使った家族旅行は人々の夢でした。
など、あげられると思います。
そういった意味で当時「近頃の若者は」を言う人は、政治に無関心になったことを言う安保世代(今60歳前後)くらいで的外れな批判でした。
さてネットやゲーム、携帯メールなどについてですが、これを批判している人はあまりいないのではないでしょうか。私もそれほどは「今の若い者は」と批判したりしません。中毒性が高いのでそれを危惧するだけです。
ただ一方お金と時間は有限なので、携帯の通信料やゲーム代でお金がなくなれば、車は買えないのでは、と心配します。
車について言えば、先ほど書いたように自分で働いてお金を貯めるまでは、無理することはないです。働いて3年くらいしてから、気にかけるでも結構だと思います。
それに都内に住んで都内にずっと就職する場合も不要かもしれません。ですが、私と同期の人たちで地方への異動のなかった人は一人もいません。地方では非常に車は必要ですし、結婚したり子供ができたら、もっと役立ってくれます。
まあ車の有用性はあまり言うまでもないですよね。
21歳男性さんのお父様が勉強に集中するようにとおっしゃられているようですが、都内は誘惑が多いのと、せっかく仕送りしているのでせめて就職まではしっかりして欲しいとの気持ちだからと思います。いま不景気だからお父さんの気持ちも分かります。
ですが、やはり勉強うんぬんより、将来親が年老いたとき、親が心理的に頼られるくらい一人前の男になることのほうがこれから10年、きっと大切でしょう。その際、人生経験として遊んだり恋愛したり、自分の心から好きになれることを見つけたりすることのほうがもっと大事でしょうね。
私は以前の返答で「男らしさ」と書きました。お世話になったら、礼を返す。お世話になった人に返せなくても他の人の別の形でお世話をする。それが日本人の矜持かと思うからです。
現実論を言えば、車の場合、女性は基本的に助手席に載せてもらう立場でもいいと思います。しかし男性は車で人からお世話になったら、車でお世話する、そう考えることは良い伝統を後世に伝えることでもあると思います。
近代の日本人がどのような人であったかを、明治時代前後に来た外国人の訳本などでみると、実にいい奴なんですよ日本人は。そういった日本人のよさは守ったほうがいいと、私は私なりに思います。
このブログで「若者の車離れに物申す」と書きましたが、すべての若者が対象ではありません。21歳男性さんも、現状をお聞きすれば今は不要だと思います。
(それとこのブログで何かを本気で変えようなんて思ってませんよ。)
ただ私は技術系ですが、キーを回すだけで「ブルウン」と音を立て、マイナス20度の雪の日も灼熱の夏の日も動いてくれる車は本当にすごい発明品とつくずく思いますよ。
結論を言えば、特別今は車をきらいと、決め付けないで欲しいなと思うということです。21歳男性さんもこれから就職をして、社会に出てゆかれると思いますが、大卒でない人(高校から実務につかれた人)たちが、車のことや道路のことを詳しいのに気づくことがあろうかと思います。「○○街道と国道○○号線の交差点を右に行って20分も走ればどこどこへ出るよ」など聞かされると、なかなか頼もしいものですよ。
投稿: ジャンルカ | 2009年11月18日 (水) 10時28分
こんにちは、そろそろキーボードの打ちすぎで手が疲れてきました(笑)。この文章を打つ前にこれよりもずっと長い文章を作成したのですが私の手違いで完全に消去されてしまいました。ショックで1分間くらい画面を茫然と見つめましたが、気を取り直してゼロから書き直しました。
これまでお互いにいろんなことを主張してきましたが、この問題でお互いの現状認識と思考回路について理解が深まってきたので大変良かったと思っています。さて管理人さんの主張について私見を述べたいと思います。
「1)自動車産業は日本の基幹産業で自動車を購入することは日本のためになるという意識があった。
2)自動車産業は裾野が広いので、運転を見につけることは就職や仕事に必須であった。
3)車を使った家族旅行は人々の夢でした。」
まず1)について。自動車を基幹産業に位置付けることは工業化や大型開発を志向する昔の経済開発には必要不可欠でした。しかし工業化社会はある程度のところで頭打ちがきます。そもそも少子化の社会で工業化を持続することは困難です。そのため現在はポスト工業化社会の構築が着々と進んでいます。ポスト工業化社会の基盤はやはりITです。その主役はネットであり、パソコンであり、さらには携帯電話です。管理人さんが若いころに自動車を購入することで日本を発展させたのと同じで、今の若者も無意識のうちに、携帯電話を買って利用することにより日本の成長産業の構築に貢献しているのです。
2)についてですが、僕も同感です。実際、田舎に帰れば多くの若者が自動車で通勤しています。また就職のために大型車の免許を取る人も依然として多いと思います。車の需要ももちろん健在でしょう。しかしそれは管理人さんが以前おっしゃっていた「自由の象徴」という意味での車ではありません。これは時代の変化ということで看過してもらえないでしょうか。
3)についてですが、僕の父も車を運転するので、僕は幼いころ車で旅行に出かけることも多々ありました。しかし、行く前は楽しみでも、行った後に待っているのは疲労感しかありませんでした。これを大人になってからもう一回繰り返すのはもううんざりです。このような主張をすると「自分で運転した方が、助手席に乗るより楽しいぞ」と主張されるかもしれませんが、自動車を運転するには緊張感が安全のために必要です。だから疲労感プラス緊張感ではとても楽しめません。
以上が私見ですがここで当り前のことを最後に言おうと思います。
ネットや携帯電話の危険性を指摘する有識者は数多いが、その有識者が若いころに流行った自動車は毎日のように人を殺しているということを皆さんは意識してるだろうか。
投稿: 21歳男性 | 2009年11月21日 (土) 01時31分
ちょっとだけ追記です。
「「○○街道と国道○○号線の交差点を右に行って20分も走ればどこどこへ出るよ」など聞かされると、なかなか頼もしいものですよ。」
というご指摘でしたが、自分が知っている道路であれば友人や知人に教えることができますが、私の経験では頻繁に車を運転しているタクシー運転手や運送屋さんくらいしか詳しいことを教えてくれません。もっとも私も田舎の出身なので都内各地に出かけるときは道に迷いそうで困惑してしまうこともあります。しかしそういうときに役立つのがグーグルがネット上で公開する地図です。ネット上ですから紙の地図とは違って、かさばることもありませんし、自由に拡大と縮小ができます。ですからもし友人や知人に道を教えてほしいと頼まれた時は、「ちょっと待って。今ググるから。」と言ってからグーグルで検索できれば十分でしょう。
「お世話になったら、礼を返す。」ことが「日本人の矜持」だというお話でしたが、まさにその通りだと思います。今の若者はその「礼を返す」ために携帯電話のメールを利用しているのです。たとえば年賀状にしてもわざわざ郵便局まで行って年賀はがきを買い、さらに友達の住所まで調べるのは大変でしょう。ですから今の若者は年賀状代わりに携帯で新年を祝うメールを送る。そして受け取った方は同じく携帯で「礼を返す」。このように解釈してもらえれば僕は現在の携帯電話文化も悪くはないと思います。もちろん僕の子どもや孫の世代になればこの習慣は大きく変わるでしょう。しかしこれも時代の流れです。
投稿: 21歳男性 | 2009年11月22日 (日) 19時28分
しばらくコメントがないようなので少しだけ追記です。「私たちの場合も楽しかったことにマージャンとかディスコとかありましたが、勧めませんもの。」
というご指摘でしたが、以前関西の読売テレビの番組で北海道でもおそらく放送されている「たかじんのそこまで言って委員会」の中で、「若者のギャンブル離れ」が嘆かれていました。
「自家用車でなくとも公共交通機関がある。そういう意見もあるでしょう。時刻表を調べたり、乗り継ぎで長い時間待ったり。そういうのが苦にならない人はそれもありですが、行動範囲は狭くなります。周りの目にも気をつけて行動しなくてはならなくなります。のびのびと移動するには車が一番。」
というご指摘でしたが、一方で自家用車を用いる場合はガソリンスタンドの位置や目的地における駐車場の有無、さらには交通渋滞などを常に考慮しなければなりません。むしろ駅から目的地まで実際に自分の足で歩いてみた方が、その土地の商店街や独特の景観など、車の中からではなかなか気がつかないものを発見することができます。行動範囲が狭いというのはあくまで歩くことを苦にする人のいわば甘えであるのではないでしょうか。もちろん山間部に旅行するときはバスなどを利用しますよ。
「さて次に「今の若者は。。」の話ですが、意外かもしれませんが、私たちが20代の頃、ほとんどこのフレーズで批判されたことはありません。」
というご指摘でしたが、それはおそらく管理人さんの記憶違いでしょう。もしくは気が付いていなかっただけかもしれません。そもそも若者を批判する言説は日本国内では平安時代からあったことが古典などで裏付けられています。たとえば清少納言は枕草子の中で若者の言葉使いについて嘆いています。世界的に見れば、誰でも知っているような歴史上の哲学者が若者のマナーを非難したり、エジプトのピラミッドに若者の不労ぶりを嘆く大人のいたずら書きがあったりするらしいです。ここで挙げられている「若者」は言うまでもなく我々からしてみたらご先祖様です。ですから管理人さんが若い時だけ、年長者による若者批判が存在しなかったという主張はにわかに信じがたいです。
「現実論を言えば、車の場合、女性は基本的に助手席に載せてもらう立場でもいいと思います。」
というご指摘でしたが、これはあくまで自動車会社が流したテレビCMによってもたらされたイメージです。最近は自動車会社も新たな市場を開拓するために、従来の「車は男が運転するもの」という価値観にとらわれないCMを作成しています。たとえばウエンツ栄治が出演していた車のCMは典型でしょう。
「中古でもいいですから苦労しても車を買って維持する男であったほうが、正々堂々と生きられるのではないでしょうか。」
そもそも維持を張ってまで車を買うことに固執することなどしなくても、大学のサークルなどで恋人を作っている男は私の周りに数多くいます。
投稿: 21歳男性 | 2009年12月 7日 (月) 02時10分
どうも21歳男性さん。
何度もコメント頂きましたが、21歳男性さんは理論的に
車が不要なものであることを論証したいように思えますが、私は理論的に導き出される話ではないと思っています。理論的に決まるなら世界中の人が車を手放す話になりますでしょう。
やはり個人個人が選択するものであると思います。
基本は有用と思えるかどうかですよね。有用と思わない場合は、住む場所を決める場合や結婚、就職など人生の選択をする場面で、自動車を使わなくても済む決断をすればいいわけですから、それに対し私は何も言うことはありません。
車を嫌う人生があってもそれは一つの生き方だと思いますよ。
ただね、
私のスタンスは21歳男性さんが、せっかく私のブログにコメントを入れて頂いたのですから、仮に人生のある場面で自動車が必要になった場合、毛嫌いせずに素直に車のある生活を受け入れるのも良い選択ではないでしょうか、ということを伝えたかったにつきます。
車は時代遅れで、今後車を使う生活は絶対にしない、と決意されるのもそれはそれ。
ただ私も48年生きて、多くの友人や親族もいます。近所の人たちも見ています。ずっと首都圏で働けた子供のいない1人の大学時代の友人を除けば皆車を購入し使っています。
仮にですね、21歳男性さんが家庭を持ったとき奥さんやお子さんができて自動車があるととても便利と実感されるような事態になったとき、そこで自動車を否定するのも一つの選択肢ですが、仮に車を持ち、自動車を運転することになったとき、自動車に否定的な思いを持ちながら運転すると事故起こしやすくなります。そんなことはないように、あまり否定的に思わないほうがいいじゃないですか、ということを伝えたいのです。
※補足:
私の若いときに「近頃の若い者は」といった言説がなかった、と言ったのはもちろん「自動車」に関してだけですよ。今60代70代の世代は、前にも書きましたが、自動車を運転することは大人社会への入り口という認識が共有されていました。暴走族は別にして、20歳代の早い内に運転を覚えることは奨励されこそすれ非難する人はほとんどいなかったと言えましょう。
投稿: ジャンルカ | 2009年12月 7日 (月) 17時18分
「ただ、テレビなどでこれからは車は買わずにカーシェアリングの時代だとか、関東に住んでいたら車なんか要らない、などと言う意見は反対です。」(1)
↓
「車を嫌う人生があってもそれは一つの生き方だと思いますよ。」「車は時代遅れで、今後車を使う生活は絶対にしない、と決意されるのもそれはそれ。」(2)
管理人さんの主張を(1)から(2)に変化させることができただけでも、私にとっては十分です。長い間ありがとうございました。また私以外の若者の意見についてもネット上で調べてみたので、参考までにURLを示します。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1025025960
投稿: 21歳男性 | 2009年12月16日 (水) 01時25分